眠くないときのほうが少ない

しがない兼業ライター・後川永のブログです。基本は仕事情報の記録です。

萌えの皮をかぶった戦慄の「育児」コミック――木尾士目『ぢごぷり』作品紹介(「Febri」vol.27掲載)

木尾士目先生の『ぢごぷり』が電子書籍化されたので、以前書いた作品紹介をアップします。

ぢごぷり』萌えの皮をかぶった戦慄の「育児」コミック

ぢごぷり(1)

ぢごぷり(1)

ぢごぷり(2)

ぢごぷり(2)

 なんて悪意のあるタイトルだろう。『ラブひな』『らき☆すた』『けいおん!』など、「萌え」作品と言えば「四文字タイトル」が定番(最近だとそうでもないが)。『ぢごぷり』も、そのテンプレートを踏まえたのだろうが、おそらくこれは「地獄のプリンセス」の略で、「地獄のプリンセス」とは何かといえば、主人公の双子姉妹が育てる赤子のこととしか考えられない。
 もともと木尾士目の作家としての美点は、平凡な人が持っているダークサイドへと積極的に目を向けていくところにある。「ガロ」系の作家のように、壊れた人間の底抜けなダークサイドを掘り進むような感覚ではなく、常識的な生活を営む普通の人たちが、ひょんなことから陥ってしまうマイナスの感情、日常に潜む闇を見つけ、掘り下げることが巧みなのだ。その観察眼が「育児」という題材に向かったとき、ちょっとシャレにならない作品が生まれてしまった。
 もともと「育児」というのはマンガで定番の題材のひとつで、実録エッセイコミックを中心に膨大な数の作品が世に出回っている。それらは、実践的なハウツーや愚痴を交えつつ、なんだかんだで子供の可愛さ、育児という行為にまつわる喜びを、ときにコミカルに、ときに叙情的に描いたものが大半だ。しかしこの作品では、もう、徹底して子供が可愛くない。まず、マンガのキャラクターとしての記号的な水準で愛嬌がない。周囲のキャラクターはみな、「萌え」系の記号的な描かれ方をしているのだが、赤子だけタッチが違うので、明確な意図で「可愛くない」のだろう。くわえて、行動も可愛げがない。これがまた、読者にだけそうとれるのかと思いきや、作中でも、他の子供と比較して可愛くないのだとはっきり描かれるのだ。そして、可愛くないから、親が子供に憎しみを募らせていく。そして憎しみは、悪夢のような内面、虐待スレスレの行動につながり……。
 読むことで楽しい気持ちになれる作品ではない。しかしそれは、ひとつの「育児のリアル」を切り取っているがゆえなのだろう。留保なしの大傑作だと、必ずしもいえる作品ではないが、戦慄しつつ、賞賛せざるをえない「怪作」であることは間違いない。

eiatokawa.hatenablog.com

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地に足のついた設定を捻る良質な短篇集――石川雅之『週刊石川雅之』レビュー(「Febri」vol.20掲載)

週刊 石川雅之 (イブニングKC)

週刊 石川雅之 (イブニングKC)

 派手な人気タレントこそ出てこないものの、小劇団出身の実力派俳優陣で配役は固められ、脚本はよく練られており、演出にも隙がない。ふと深夜にテレビを点けたとき、そんないぶし銀な味わいのドラマに出会うと、なんともいえず嬉しいものがあり、ついつい作業の手を止めて見入ってしまったりする。

『月刊石川雅之』に収録された短編には、そんな良質な深夜ドラマのような味わいがある。

 たとえば、巻頭に収録された「彼女の告白」。

 田舎の両親のもとに久々に帰ってきた息子は、どこからどうみても女性にしかみえないニューハーフになっていた。ここまでは比較的よくあるシチュエーションだといってよいだろう。
 しかし、膝を突き合わせて三人が話し合ううち、物語は意外な方向へと転がり、一捻り、二捻りしてからオチへとたどりつく。短いページ数であるにもかかわらず、初期設定からの筋の展開が大変鮮やか。また、コミカルな表現をはさみつつ醸しだされる、なんともいえない気まずい空気の表現も絶妙だ。

 そのほかの短編も、初期設定はそこまで奇抜なものではない。

 食卓に置かれた謎の袋をきっかけに、それぞれ妄想を炸裂させる家族。お互いに存在感が薄いせいで、たまたま喫茶店で相席になり、意気投合する二人の男。恋に仕事に疲れた28歳のOL。ファミレスでフェティッシュな猥談に興じる、派遣のバイトでたまたま知り合った4人組の男たち。凄腕の殺し屋だった過去をキャバクラで自慢する、すっかりたるみきった体の中年男。TV出演のために来日したロシアのインチキ超能力兄妹。落ちる寸前の城に姫を助けに行こうとする腕利きの忍。女子高生に飼われている鶏の親子。殿の命令で大凧を用意せねばならなかったのに大蛸を探してきてしまったおっちょこちょいな農民たち。一日に運行するバスの本数が少なく、人気もあまりない日中のバス停で出会う男女。

 ……いずれも地に足の着いた範囲で、でも、ほんの少し日常から遊離したようなバランスを保った設定だ。

 ストレートに言えば、地味だ。

 しかしながら、読み終えたときに、平凡な印象を覚える短編は、ひとつもない。
 未読の方は、ここに書いた初期設定から、ぼんやりと話の筋を想像し、そのあとで実物を手にとってみてほしい。おそらく、想像した筋から一歩、二歩先へと思考を進めた展開がそこにはあるはずだ。

 くわえて「ただ笑える」「ただ泣ける」というだけの作品がない点も素晴らしい。どの短編も、喜怒哀楽の感情や「シリアス/ギャグ」といった割り切りを許さない、複雑な味わいを湛えている。また、そのうえで後味の悪い作品がひとつもないあたりも、実に見事だ。

 いささか失礼な物言いになってしまうが、正直なところ、このままの作風でずっと描き続けていたならば、いずれネタ切れは確実に訪れただろうし、また、現在ほどメジャーな作家になることもなかっただろう。しかし本書は、のちに大ブレイクする作家の才気が、読者を置いてけぼりにしてほとばしりすぎてしまった、「若気の至り」扱いされる習作のようなものではない。連載の経験こそ浅いものの、たしかな実力を内に秘めた作家が、このときにしか描けなかっただろう輝きが詰まった、いうなればアーリー・ベスト。少し年配の読者ならば、『AKIRA』以前の大友克洋の短篇集にも似た味わい、とでもいえば感触が伝わるか。

 現在でも十二分に楽しむことができる、とても完成度の高い短篇集だ。

初出:「Febri」vol.20(一迅社)、ウェブ掲載にあたり一部改稿

……『純潔のマリア』のアニメが面白いので、勢いで載せてみた。

生々しい「オタクの人生あるある」――『げんしけん 二代目』レビュー(※「Febri」vol.27のお蔵出し)

ご無沙汰しております。後川です。どうもブログやTwitterを書くことが習慣にできません。

さて、いつも宮昌太朗さんと共同でコミック紹介のページを担当させていただいている「Febri」の、最新号が発売されました。表紙と巻頭大特集は『プリパラ』(!)です。攻めてますね〜。ステキ。

Febri (フェブリ) Vol.27

Febri (フェブリ) Vol.27

コミックのコーナーは木尾士目先生の小特集です。私は『げんしけん』『ぢごぷり』の二作品のレビューを担当いたしました。

……で、ですね。

実は今回、当初、レビュー対象の作品を間違えて原稿を書いてしまいまして(恥)。
書き直したものが誌面には掲載されているのですが、元原稿の方もお蔵入りさせるのは少々惜しいので、下記に掲載させていただきます。ご笑覧いただければ幸いです。

げんしけん 二代目』レビュー:生々しい「オタクの人生あるある」

げんしけん』(以下「無印」)の連載が始まったとき、筆者は大学生だった。作中に登場するオタク的な文物は現実と対応していたので、メインキャラクターたちと筆者はほぼ同世代だったはずなのだが、彼らのオタクとしてのノリは、筆者よりもやや上の世代のそれと近しいという印象を抱いたものだ(たとえば、格闘ゲームに対するスタンスなど)。
げんしけん二代目』(以下「二代目」)は、作中の時間は「無印」の終了時点から数ヶ月しか流れていないのだが、ガジェットは現実とシンクロしており、また、それに対応するかのように、新キャラクターたちも、超美形「男の娘」の波戸賢二郎を筆頭に、いまどきの若いオタクらしい個性の持ち主が揃っている。その結果、描かれる世界や物語の質は「無印」から大きな変化を遂げた。
 まず端的に、女性のオタクが物語の前面に出てくるようになった。舞台となる現代視覚文化研究部の現役部員がほぼ女性になり、作品に登場する男性のオタクは、ほぼOB。そうなると、自然と女性同士の関係性に関する描写の比重が増えている。
 そして、より本質的な変化が、オタクの集団における恋愛問題の比重が上昇していることだ。「無印」の頃は、オタクにとってのひとつの理想は、居心地の良いコミュニティを作り出すことだった。もうちょい軽くいえば、趣味の友達がほしい、できればその関係をずっと続けていきたい……というのが、オタクの夢、憧れだった。しかし今となっては、インターネットのさらなる普及やSNSの発展などにともない、居心地の良い趣味の共同体を構築することは、昔よりもさらに簡単になった。もはや、オタク仲間はいて当たり前、という世の中なのだ。となると、欲望の方向性が、友情から愛情へと向かっていくというのは、人情というか、ひとつの自然な流れではあるだろう。
「無印」の後半でも、笹原と荻上斑目と春日部というキャラクターを中心に、恋愛問題が浮上してはいた。しかしその問題設定はオーソドックスな、告白するかしないか、好きか嫌いか、というようなものであり、両思いならめでたしめでたし、片思いなら残念でした……という、明快なものだった。
 これに対して、「二代目」で描かれる恋愛問題は、もう少し複雑だ。「無印」終盤の物語の中心となり、無事くっついた笹原と荻上のカップルは、片方が就職、片方が学生という立場の変化で、付き合い方に緩やかな変化を迎え、田中と大野のカメコ&コスプレイヤーカップルも、少しずつ結婚を意識しながら付き合うようになっている。そうした付き合ってから先の話、環境の変化にともなう関係性の変化が描かれていくことにくわえ、こじらせオタクの斑目に思わぬモテ期が到来し、その流れで学生時代の片思いにケリをつけることになったり、はたまた、女性にあまり縁のないオタクとして穏やかな覚悟を固めた久我山にキャバクラや風俗といった遊びの選択肢が加齢にともなって視野に入ってきたり……と、独身男性オタクも平静とはしていられない。
 こうしたキャラクターたちの生き様を読んでいると、自分も含め、身近なオタクたちの人生模様に、思いを馳せてしまうことが多い。「無印」はオタクのリアルを切り取った画期的なマンガだ、とよく賞賛されているのだが、実は「二代目」の方が、「オタクの人生あるある」的な意味での生々しさはより高い。特に、モテてるのはいいが、好かれた相手が全部一癖も二癖もあるという斑目の行く末は、とても気になるところである。

『竹易てあし漫画全集 おひっこし』作品紹介(「「Febri」Vol.17(一迅社)掲載)

沙村広明先生の新連載『波よ聞いてくれ』がめちゃくちゃおもしろいです!

『おひっこし』が心の一冊な人間としてはたまらないものがあります。
2話を掲載した「アフタヌーン」の発売にあわせて、1話がWebで無料公開されました。素晴らしい。

波よ聞いてくれ/沙村広明 第1話「お前を許さない」 - モーニング・アフタヌーン・イブニング合同Webコミックサイト モアイ

続きも楽しみですけど、これだけで独立した短編として読めるんですよね。未見の方はぜひこの機会にご一読を。

さてさて、せっかくなので、以前、一迅社の「Febri」に書かせていただいた『おひっこし』の作品紹介原稿を以下に掲載します。ご笑読ください。

■超絶技巧で描かれる等身大の八王子学生ラブコメ

竹易てあし漫画全集 おひっこし (アフタヌーンKC)

竹易てあし漫画全集 おひっこし (アフタヌーンKC)

 沙村広明の代表作は『無限の住人』である。質、量、世間的な評価、作者の作品に込めた熱量などなど、どの要素を鑑みても、これはまごうことなき事実だ。しかし、「おひっこし」の傑作ぶりもこれまたとてつもない。思わず、「これこそが代表作だ」と筆を滑らせてしまいたくなるほどに。
「おひっこし」は、東京都八王子市(「東京=都会」という幻想を抱いて全国から上京してきた若者たちの悲しみと怨嗟の声に満たされた土地)を舞台にしたラブコメ作品。ストーリーの中心になるのは、ボンクラ学生の遠野禎、遠野の憧れの相手で、同棲中の彼氏が青年海外協力隊ザンビアへと旅立ったため超遠距離恋愛状態の上級生・赤木真由、遠野の幼馴染で、遠野に片思い中のナゴム系不思議ちゃんパンク少女・小春川玲子の微妙な三角関係。そこに、遠野の親友で小春川の暫定彼氏である木戸草介、母を悲惨な死に追いやった日本人への復讐に燃える謎のイタリア人・バローネ、そんなバローネにディープな愛を捧げる女子大生・福島みこと、木戸のデスメタル趣味に振り回されるバンド仲間の藤田などなど多彩な登場人物が絡み、楽しくも切ない青春模様が描かれる。
 とにかくもう、その流れるような筋運びに魅了される。多少類型的な設定とはいえ、冒頭、わずか数ページの飲み会シーンで多岐にわたる登場人物の人間関係とおおよそのパーソナリティを一気に読者に理解させる手腕は圧倒的だ。
 その後も、遠野と赤木の多摩動物公園デート、バローネの登場、トラブル発生、三角関係の終わり、そして急転直下のラストまで、一見するとあまり脈絡のなさそうなエピソードが見事なつながりをみせ、物語が怒涛の勢いで突き進む。いったん読み出したら、最後までページを捲る手が止まらない。
 ストーリー展開で読者を引っ張る力の強さもさることながら、圧倒的な密度でつめ込まれた小ネタの数々が生みだすスピード感もこれまた凄まじい。名作マンガから雑誌のレビュー、ゲーム攻略本から何から何まで、卓抜した画力でもってパロディにして、意表を突くタイミングで作品に盛り込む。この一作でもって、みなもと太郎山上たつひこ鴨川つばめ江口寿史古屋兎丸などなど、超絶技巧でジャンルのコンテクストをずらすタイプのパスティーシュを描くギャグマンガ家の系譜に、沙村を並べられるといっても、いささかも過言ではない。「自己紹介します/好きなドラマーはブライアン・ダウニー/好きな呪文はザラキ/嫌いなモノは「お前のような女」です」といった、何気ないセリフの切れ味も抜群だ。
 大学生という最後のモラトリアム期間(最近はそうでもないのかもしらんが)を描くのは、なんだかんだで青年誌の定番ジャンルではある。しかし、大学生の等身大の悩みをやたらと茶化すでなし、さりとて妙に深刻ぶるでなしの、いい按配で描ききった作品というのは、実のところ数少ない。純粋だけどゲス、ひたむきだけどマヌケ――そんな大学生の実像を等身大に描いた稀有な作品であり、ゆえに永遠のスタンダードとしてこれからも読み継がれるのではなかろうか。
 なお、同時収録の「涙のランチョン日記」は、平凡な十代の少女マンガ家(処女)が、喫茶店の住み込みバイトからヤクザの情婦まで流浪の生活を経て大成するまでを60ページ弱で描いた、ジョン・ゾーンのフリージャズ級のジャンル横断圧縮読み切りで、これまた強烈だ。もう一本の小品「みどろが池に修羅を見た」は愛らしい半実録物。「おひっこし」と並べて読むと、あとがきなどでの作りこんだキャラではない作者のひととなりが少しうかがえる……かもしれない。(後川永)

2013年10月のお仕事

Febri (フェブリ) Vol.19

Febri (フェブリ) Vol.19

結城心一先生の特集コーナーで『ももえサイズ』『かんぱち』の紹介コラムを書いています。
巻頭の『艦隊これくしょん』特集の密度がすごくて圧倒されました。
魔法少女まどか☆マギカぴあ (ぴあMOOK)

魔法少女まどか☆マギカぴあ (ぴあMOOK)

インタビューを数本、書き原稿も少し担当しました。今週末からついに公開ですね。楽しみです。