眠くないときのほうが少ない

しがない兼業ライター・後川永のブログです。基本は仕事情報の記録です。

『竹易てあし漫画全集 おひっこし』作品紹介(「「Febri」Vol.17(一迅社)掲載)

沙村広明先生の新連載『波よ聞いてくれ』がめちゃくちゃおもしろいです!

『おひっこし』が心の一冊な人間としてはたまらないものがあります。
2話を掲載した「アフタヌーン」の発売にあわせて、1話がWebで無料公開されました。素晴らしい。

波よ聞いてくれ/沙村広明 第1話「お前を許さない」 - モーニング・アフタヌーン・イブニング合同Webコミックサイト モアイ

続きも楽しみですけど、これだけで独立した短編として読めるんですよね。未見の方はぜひこの機会にご一読を。

さてさて、せっかくなので、以前、一迅社の「Febri」に書かせていただいた『おひっこし』の作品紹介原稿を以下に掲載します。ご笑読ください。

■超絶技巧で描かれる等身大の八王子学生ラブコメ

竹易てあし漫画全集 おひっこし (アフタヌーンKC)

竹易てあし漫画全集 おひっこし (アフタヌーンKC)

 沙村広明の代表作は『無限の住人』である。質、量、世間的な評価、作者の作品に込めた熱量などなど、どの要素を鑑みても、これはまごうことなき事実だ。しかし、「おひっこし」の傑作ぶりもこれまたとてつもない。思わず、「これこそが代表作だ」と筆を滑らせてしまいたくなるほどに。
「おひっこし」は、東京都八王子市(「東京=都会」という幻想を抱いて全国から上京してきた若者たちの悲しみと怨嗟の声に満たされた土地)を舞台にしたラブコメ作品。ストーリーの中心になるのは、ボンクラ学生の遠野禎、遠野の憧れの相手で、同棲中の彼氏が青年海外協力隊ザンビアへと旅立ったため超遠距離恋愛状態の上級生・赤木真由、遠野の幼馴染で、遠野に片思い中のナゴム系不思議ちゃんパンク少女・小春川玲子の微妙な三角関係。そこに、遠野の親友で小春川の暫定彼氏である木戸草介、母を悲惨な死に追いやった日本人への復讐に燃える謎のイタリア人・バローネ、そんなバローネにディープな愛を捧げる女子大生・福島みこと、木戸のデスメタル趣味に振り回されるバンド仲間の藤田などなど多彩な登場人物が絡み、楽しくも切ない青春模様が描かれる。
 とにかくもう、その流れるような筋運びに魅了される。多少類型的な設定とはいえ、冒頭、わずか数ページの飲み会シーンで多岐にわたる登場人物の人間関係とおおよそのパーソナリティを一気に読者に理解させる手腕は圧倒的だ。
 その後も、遠野と赤木の多摩動物公園デート、バローネの登場、トラブル発生、三角関係の終わり、そして急転直下のラストまで、一見するとあまり脈絡のなさそうなエピソードが見事なつながりをみせ、物語が怒涛の勢いで突き進む。いったん読み出したら、最後までページを捲る手が止まらない。
 ストーリー展開で読者を引っ張る力の強さもさることながら、圧倒的な密度でつめ込まれた小ネタの数々が生みだすスピード感もこれまた凄まじい。名作マンガから雑誌のレビュー、ゲーム攻略本から何から何まで、卓抜した画力でもってパロディにして、意表を突くタイミングで作品に盛り込む。この一作でもって、みなもと太郎山上たつひこ鴨川つばめ江口寿史古屋兎丸などなど、超絶技巧でジャンルのコンテクストをずらすタイプのパスティーシュを描くギャグマンガ家の系譜に、沙村を並べられるといっても、いささかも過言ではない。「自己紹介します/好きなドラマーはブライアン・ダウニー/好きな呪文はザラキ/嫌いなモノは「お前のような女」です」といった、何気ないセリフの切れ味も抜群だ。
 大学生という最後のモラトリアム期間(最近はそうでもないのかもしらんが)を描くのは、なんだかんだで青年誌の定番ジャンルではある。しかし、大学生の等身大の悩みをやたらと茶化すでなし、さりとて妙に深刻ぶるでなしの、いい按配で描ききった作品というのは、実のところ数少ない。純粋だけどゲス、ひたむきだけどマヌケ――そんな大学生の実像を等身大に描いた稀有な作品であり、ゆえに永遠のスタンダードとしてこれからも読み継がれるのではなかろうか。
 なお、同時収録の「涙のランチョン日記」は、平凡な十代の少女マンガ家(処女)が、喫茶店の住み込みバイトからヤクザの情婦まで流浪の生活を経て大成するまでを60ページ弱で描いた、ジョン・ゾーンのフリージャズ級のジャンル横断圧縮読み切りで、これまた強烈だ。もう一本の小品「みどろが池に修羅を見た」は愛らしい半実録物。「おひっこし」と並べて読むと、あとがきなどでの作りこんだキャラではない作者のひととなりが少しうかがえる……かもしれない。(後川永)