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眠くないときのほうが少ない

しがない兼業ライター・後川永のブログです。基本は仕事情報の記録です。

生々しい「オタクの人生あるある」――『げんしけん 二代目』レビュー(※「Febri」vol.27のお蔵出し)

ご無沙汰しております。後川です。どうもブログやTwitterを書くことが習慣にできません。

さて、いつも宮昌太朗さんと共同でコミック紹介のページを担当させていただいている「Febri」の、最新号が発売されました。表紙と巻頭大特集は『プリパラ』(!)です。攻めてますね〜。ステキ。

Febri (フェブリ) Vol.27

Febri (フェブリ) Vol.27

コミックのコーナーは木尾士目先生の小特集です。私は『げんしけん』『ぢごぷり』の二作品のレビューを担当いたしました。

……で、ですね。

実は今回、当初、レビュー対象の作品を間違えて原稿を書いてしまいまして(恥)。
書き直したものが誌面には掲載されているのですが、元原稿の方もお蔵入りさせるのは少々惜しいので、下記に掲載させていただきます。ご笑覧いただければ幸いです。

げんしけん 二代目』レビュー:生々しい「オタクの人生あるある」

げんしけん』(以下「無印」)の連載が始まったとき、筆者は大学生だった。作中に登場するオタク的な文物は現実と対応していたので、メインキャラクターたちと筆者はほぼ同世代だったはずなのだが、彼らのオタクとしてのノリは、筆者よりもやや上の世代のそれと近しいという印象を抱いたものだ(たとえば、格闘ゲームに対するスタンスなど)。
げんしけん二代目』(以下「二代目」)は、作中の時間は「無印」の終了時点から数ヶ月しか流れていないのだが、ガジェットは現実とシンクロしており、また、それに対応するかのように、新キャラクターたちも、超美形「男の娘」の波戸賢二郎を筆頭に、いまどきの若いオタクらしい個性の持ち主が揃っている。その結果、描かれる世界や物語の質は「無印」から大きな変化を遂げた。
 まず端的に、女性のオタクが物語の前面に出てくるようになった。舞台となる現代視覚文化研究部の現役部員がほぼ女性になり、作品に登場する男性のオタクは、ほぼOB。そうなると、自然と女性同士の関係性に関する描写の比重が増えている。
 そして、より本質的な変化が、オタクの集団における恋愛問題の比重が上昇していることだ。「無印」の頃は、オタクにとってのひとつの理想は、居心地の良いコミュニティを作り出すことだった。もうちょい軽くいえば、趣味の友達がほしい、できればその関係をずっと続けていきたい……というのが、オタクの夢、憧れだった。しかし今となっては、インターネットのさらなる普及やSNSの発展などにともない、居心地の良い趣味の共同体を構築することは、昔よりもさらに簡単になった。もはや、オタク仲間はいて当たり前、という世の中なのだ。となると、欲望の方向性が、友情から愛情へと向かっていくというのは、人情というか、ひとつの自然な流れではあるだろう。
「無印」の後半でも、笹原と荻上斑目と春日部というキャラクターを中心に、恋愛問題が浮上してはいた。しかしその問題設定はオーソドックスな、告白するかしないか、好きか嫌いか、というようなものであり、両思いならめでたしめでたし、片思いなら残念でした……という、明快なものだった。
 これに対して、「二代目」で描かれる恋愛問題は、もう少し複雑だ。「無印」終盤の物語の中心となり、無事くっついた笹原と荻上のカップルは、片方が就職、片方が学生という立場の変化で、付き合い方に緩やかな変化を迎え、田中と大野のカメコ&コスプレイヤーカップルも、少しずつ結婚を意識しながら付き合うようになっている。そうした付き合ってから先の話、環境の変化にともなう関係性の変化が描かれていくことにくわえ、こじらせオタクの斑目に思わぬモテ期が到来し、その流れで学生時代の片思いにケリをつけることになったり、はたまた、女性にあまり縁のないオタクとして穏やかな覚悟を固めた久我山にキャバクラや風俗といった遊びの選択肢が加齢にともなって視野に入ってきたり……と、独身男性オタクも平静とはしていられない。
 こうしたキャラクターたちの生き様を読んでいると、自分も含め、身近なオタクたちの人生模様に、思いを馳せてしまうことが多い。「無印」はオタクのリアルを切り取った画期的なマンガだ、とよく賞賛されているのだが、実は「二代目」の方が、「オタクの人生あるある」的な意味での生々しさはより高い。特に、モテてるのはいいが、好かれた相手が全部一癖も二癖もあるという斑目の行く末は、とても気になるところである。